8月24日の小雨の降るちょっと肌寒い日曜日に,
友人親子にくっついて有楽町の東京国際フォーラムまで行ってきた。
目的は,東京都内私立学校展。
建物前で塾のチラシ攻撃に遭い
ようやく会場にたどり着いたら,入口でご親切に不織布の大きなかばんをくれた。
何せ都内の200校以上の学校が集まっているのだから
目当ての学校のパンフレットをざっともらって帰るだけでも
相当なかさばり+重さになるということだろう。
とにかく人気のある学校の前は進路相談を待つ人たちで通路がふさがれ
まるで満員電車なみの混雑だった。ふ~。
対して人の集まっていない学校(失礼)は,”どうぞ,パンフレットだけでももらって帰ってくださ~い”と
何だか悲しい状況……。校長先生らしき人まで,積極的に周りに声をかけていたりして。
少子化ですもんね,私立なると,そりゃ生徒獲得に必死になりますわな。
まぁ,とにかくかばんの重さ(パンフレットどっさり)と人ゴミですっかり疲れてしまい
進路相談どころではなかったです。
子供の受験なのに何でこんなに親が大変なんだ?
以前から娘に”コンタクトにしたい”と言われ続けていたけど
”中学生にはまだ早い!”と思って延ばし延ばしにしていた。
しかし、どうも今の時代、中学生だから早いというわけでもないらしい。
周りに小学生からしてるという話も聞く。
第一、コンタクトにしたいという理由が”試合に勝ちたい!でも、シャトルが見えない!”(バドミントン部)ということだし
今どきメガネにゴムをつけてやってる人も女子中学生もいないらしく(昔は時々見かけたのに)
昨日、とうとうコンタクトデビューをすることとなった。(は眼科に置かれていた模型)
私は学生の頃、ハードコンタクトレンズを買って1ヶ月で痛さと面倒くささのため挫折したのだけど、
高かったので捨てられず、意味もなく20年ぐらい持っていて最近やっと捨てたという苦い記憶がある。
夫もソフトコンタクトレンズを買ったにもかかわらず
目に入れる恐怖に耐えられず1日で挫折したという経緯がある。ぐぐぐ。
しかし、娘は1日目から余り抵抗なく過ごしているようだ。意外。
今は昔と違って、眼科医の処方箋がないと買えないし、
定期的に検査することも義務づけられているみたいだから
そこをちゃんと押さえてさえいれば、あまりびくびくすることもないのかもしれない。
コンタクトレンズ自体の質も格段に上がっているようだし
時代は随分と進んだんだなと実感した。
あとは、もうちょっとコストダウンしてくれると嬉しいんだけど。
(家族4人全員目が悪いとかなりの高コストなのです)
先日、夫+娘2人の髪をカットしました。
東京に引っ越してくるまでも時折娘2人のカットだけはしていたのだけど
東京に来てからなぜか夫の髪もカットすることに。
”どこに行けばいいかよくわからんし
美容院や理容院で長々と待たされるのは嫌だからおまえが切ってくれ”と
美容師免許も何にも持ってないど素人の私に頼んできて(すごい勇気)
最初は”どうなっても知らんからね!”とびくびくしながらカットしていたのだけど
(特に耳の周りのカットに気をつかう)
今やなれたもので、鼻歌まじりにカットできるようになった。我ながらすごいと思う。
しかし、いくらなれたといっても3人続けてカットするとなると
片付けも入れて2時間立ちっぱなしの作業になった。
(娘1人はショートカット、1人はロング)
いやはや、切り終わったときにはぐったりしました。
それから数日後、
”今回はなかなか夏仕様ですっきり決まったな”などと思いながら夫の頭を眺めていたら、
短く刈った耳の上にびよ~んと4センチぐらいの長い髪の毛を発見。
あらあら、このまま会社に行ってたのね。ぶぶぶ。
お抱え理容師のご愛敬、もちろん切ってあげましたよ
昨日は上野の東京国立博物館で”対決巨匠たちの日本美術”を鑑賞してきました。
日本の巨匠たちをVS方式で見せるところがなかなか憎い演出だなと感心しました。
個人的に一番印象に残ったのは,歌麿の浮世絵の緻密さでしょうか。
本物を間近に見て初めて
この薄い紙に版木で何回にも分けて刷っただなんてあり得な~い,神業?としみじみ感動しました。
そんなふうに博物館は博物館でとっても堪能させてもらったのですが,
もう一つ,違う意味で感動したのが上野公園の不忍池のそばに連なった露店テントの存在。
無国籍な感じで,中には”え”ー!?”という代物もいっぱいあって非常に興味深かったです。
”ちょ,ちょっとそれは幾らなんでも売れへんのちゃう?”とか
”どこから仕入れてきたん?”とかつっこみどころ満載で
そこを我慢しながら神妙な顔で(多分)一通り見てきました。
あそこは一日じっくり見ても飽きないところかもしれません。
不忍池の一面の蓮(花は蕾のみで残念)の横にまるでヤミ市のようなテントの連なり。
ちょっとした異空間を体験できたひとときでした